使い捨てのぼろ雑巾

神、仏、アラー、お光さん
呼び名はどうであれ
宗教の本質は神と世界を愛することです


キリスト教は
イエスのように生きることが
大切でした


中世イタリアのアッシジのフランチェスコや
カルカッタのマザーテレサなどは生涯
苦しんでいる人々の中にキリストの姿を発見し
彼らの心の友となり
清貧を貫いたのです


誰をも非難することなく
ひたすら祈りの中で
人々に奉仕することを選んだのです


物品販売から祝福献金まで
UCの天国とは
まさに金次第


信徒に残した物といえば
借金地獄


本来、キリスト者として持つべき
他者に対する
柔和
やさしさ
思いやりの精神さえ


いつの間にか失ってしまい
苦しみ悩む人々の生活を
助けるどころか
自分たちが助けてもらう状態にまで
信徒を追い込んでしまいました


そして世界の救いをと言いつつ
実際は自分の先祖の解怨と救いのことばかり


この世の父母でも不憫な子供がいれば
心を痛め心配し
その子供の為を思えば
夜も昼もなく気を病むのに


「真の父母がこの世にいることを有難く思え」などとは
これ如何に?


美しい中世の石畳の上をはだし同然で
キリストに倣ったフランチェスコ


カルカッタの死の家で
死に行く人の中に
キリストを見たマザーテレサ


はじめは小さなさざ波に過ぎなかった
彼らの運動が
権力と腐敗で堕落した内部を刷新し


やがてカトリック全体を動かし
世界に烽火のように広がったのは


彼らが名もない一人一人の中に
神を見たからです


擦り切れたぼろ雑巾のように
使えるだけ使い


そのこと故


幾多の純粋な魂が
疲れ果て
この組織から去って行ったことか


中心の前に万歳三唱する前に
脚下で必死に生きる
傷ついた魂を助けることに
もっと力とお金を注ぐべきなのです


「多くの無垢なる魂が犠牲になった上に、例え天国が出来ても僕はその入場券をお返しするのです」と言った「カラマーゾフの兄弟」のイアンの声が心に響くのです

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