キリスト教徒の慕う母とは

キリスト教徒が慕う母とは
どのようなイメージなのでしょうか


カトリックではマリアを
人類の慈母として今も
憧憬の対象にしています


原理的な観点からの価値判断はともかく
真の母を慕うキリスト者の思いが
聖歌や讃美歌には
沢山残されています


わたし達も
み旨の中で
讃美歌や聖歌によって
どれほど
命を洗われたことでしょうか


朝に昼に夜にと


食事の時も
祈りの時も
歌はいつもそこに在りました


そして共に声を合わせて歌うたびに
それぞれの環境の中で
慕い求めた
無数の思いが
今も蘇って来ます


音楽は見えない波動です


ピタゴラスやケプラーは
音を通して神が創造した
宇宙の調和を確信しました


弦を引くとき
ピアノの鍵盤を叩くとき
旋律が調和された和音の中を
自由に駆け巡るのです


それはあたかも
見えない神の愛が
人の魂の中で共鳴し
駆け巡るかのようです


透明感を持った
この声の中に
キリスト教の
真の母を慕う思いが
流れています



Libera - Ave Maria(Caccini) - Tom Cully

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