新しい天と地はもう始まっている

神にとってはこの大自然が神のカラダです
鉱物、植物、動物そして人間の中に神のエネルギーが
厳然と生きて動いています


そして鉱物、植物、動物の中に見られる神の働きは無意識です


同じように人間は膨大な無意識をカラダの中に持っています


内臓や細胞の微妙な動きや
食物が体の中に入った時の見事な分配機能
必要なところに血液を通して運ばれる栄養物質の流れ
全ては無意識に動いているのです


では鉱物、植物、動物と人間の最大の違いは何でしょうか


それは人間だけが「私」と言う自我意識を
持っているのです


眠りから目覚めるとこの自我意識が動き出します
外界である対象世界を認識する意識化の始まりです


この外界を認識している時
神はどこにいるのでしょうか


「私」と言う意識の中に共にいるのでしょうか
それとも「私」の外にいるのでしょうか


東洋の哲学や宗教はこの「私」とは何かを
追求したのです


そして導き出した結論が
「真我」と言う概念です
或いは「私は私であって私ではない」と言う
禅問答の無心の境地なのです


その真意は
この「私」と言う意識にこそ
神や真理と繋がる秘密があるはずだと言う
直感でした


原理では堕落とは
神と同じ立場に立てなくなったことを言います
自我意識が神と繋がらなくなってしまったと言うことです


文師は
堕落の原因は自己中心性が動機だといいました
不倫なる性関係はあくまでも自我意識から見れば
結果としての行為
本質は自我意識が神と繋がらない行為だったと言うのです


自我意識が神に繋がらないことを無知なる状態と表現し
肉体が膨大な無意識に翻弄されている無知なる状態から
知へと目覚める本然の意識状態を回復することが復帰への道でした


自然界には一定の秩序がありますが
同時に嵐や台風があり
洪水や地震
火山の爆発もあるのです
自然界のカオスがそのままで外界に現れると
無差別の破壊が始まります


人間の無意識も「私」がエゴの殻を破らないと
無差別な破壊衝動が起こってくるのです


紛争や戦争は
無意識の中に潜んでいるエゴの持つ
破壊のエネルギーなのです


従って神の創造が人間において完成する為には
「私」という自我意識が神に繋がらなければ
この闘争は決して終わらないという結論になります


それは繰り返しますが
エゴに幽閉された人間は
自然の持つ破壊への可能性を
担いながら生きているからです


宗教は自己否定を最大の修行の目的として
肉体の中にある自然
無意識との熾烈な闘いをしてきました


文師はその状態から逃れる方法を
蕩減復帰原理の中で明確に教えています


それが神の歴史的な心情を相続することなのです
原理の復帰摂理の本質は
神の愛の心情を自我意識の中で
体恤することなのです


その体恤を通して初めて
失われた父子の関係が
修復できると教えたのです


肉体の中にある本能
食欲や性欲は
自然の無意識的な衝動
即ち創造本性のエネルギーなのです


それを神の心情圏に立って
自我意識の中で主管することを
神は責任分担として人間に願われたのです


生命の躍動する自然のエネルギーを
「私」の主管の下に
愛によって収めること


それが長成期完成級の試練だったのです



その本質は
霊肉共に喜びを得ようとする
愛の衝動を相続することでした


二つの愛がスパークする時
愛が個人のレベルを超えて
新たな愛の深さを二人で創造することが出来るからです


その創造性の中に
神が臨在するのです


日々が何故
新しい一日なのか
それは創造する神が
生きて働いているからなのです


自我意識が愛の心情を通して
神に繋がることを
教えた人が文師なのです


しかしそれは
文師に盲目的に服従する僕ではなく
文師が出会った神に出会えということなのです


もうすべてを君たちに教えた
「先生を探すな」と言われた真意は
氏族のメシアの称号を自分で
勝ち取れと言うことなのです


文師が戦った原罪の問題も
既に終わったのです


復帰の心情を通過し
その基台の上で
祝福を受けると
その家庭の中に創造本性が
ふつふつと湧き上がってきます
それは恩寵です


新しい天と地は「私」の中に生きる神と共に
創造本性を家庭の中で育むこと
そして
それはもう既に始まっているのです

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