南北の統一に関して

文師が亡くなる前に立て続けに語られたみ言葉は
本来あるべき創造原理に根差した人間の在り様でした


それはそれまでの蕩減時代
復帰時代の人間の在り方ではなく


一人一人が神に直接繋がる
神の宮としての
人間の姿のことです


そしてそれを家庭の中に実現せよと
家庭の重要性を何度も遺言のように残したのです


家庭こそ
存在と生命の根拠
心情と愛の根拠
絶対的共同体の出発点です


残念ながら
文師の家庭においては
理想の家庭像を実体としては
完全に示すことは出来ませんでしたが
「全てを成した」と象徴的に宣布をされ
理想家庭の実現は祝福家庭に委託したのでしょう


本来は第二次世界大戦後に韓国のキリスト教が受け入れていれば
韓半島が南北に分断されることもなく
又、統一教会も必要とされませんでした


二千年のキリスト教の蕩減条件の上に
本然の神の家庭が出発できたのです


準備された全ての基盤が壊れて
最初の予定された家族を残して
再びゼロから出発しなければならなかった時の文師の心情は
どれほど悲痛だったことでしょうか


歴史は失敗をもと返すために
再び摂理を繰り返します
分断された南北を統一する動きが
始まっているのです


文師は神を否定する国は70年を超えられないと言いました


北朝鮮は1948年に独立して今年で70年目になります
又共産中国も来年2019年に70年目を迎えるのです
この南北統一は再び巡ってきた神の摂理なのです
そして統一の中心的役割を果たすのはやはりキリスト教を中心とした
宗教的価値の基準を認める自由社会なのです


文師の歴史観が正しければこの分断線は神とサタンの最後の決着の場となるでしょう
それは共産主義の終焉のみならず宗教の終焉でもあるからです


キリスト教や宗教の歴史的使命はこの韓半島において
蕩減の歴史に終止符を打つと思っています
文師はそのことを何よりも予見していたので
それが後年の宗教もいらないと言うコトバに繋がるのでしょう


神が教会や寺院にいるのではなく
一人一人の中に住むということです


即ち創造原理の世界が始まると言うことであり
南北統一はその最後の「為に生きる」ことの実践の場なのです


またその時に必要となる代表的指針が「良心に従え」と言うコトバでしょう
「良心」は全ての宗教で繰り返し教えてきたものなので
いかなる宗教者でも容易に受け入れることが出来ます
良心には北も南もないからです


今の統一家の混乱はこうした重要な摂理の分岐点を
迎えているにもかかわらず復帰時代の慣習と癖が特に指導者層の間に残っていて
相も変わらず蕩減原則に沿った指導をしているように見えます


組織の長に尋ねないことには主体的に一人で動くこともできない
従属的思考状態を依然として信徒に課せているのです


自分の中に生きる神を見るのではなく
祈願書にお金を添えて清平に行けば
恩恵が受けられると言う信仰の在り方は
もういい加減卒業するべきです


新しい天と地の意味を一向に介さない運動は
「あなた方も真の父母(メシア)になりなさい」
という文師のメッセージの代わりに
「真の母に服従しなさい」と言う
蕩減復帰摂理を未だに生きているのです


独生女
無原罪
三位一体


人間はもともと誰もが貴重な神の独り子として生まれるのです
そして原罪は祝福と共に清算され
それぞれが良心に語り掛ける神の声に目覚めれば
誰もが神を中心とした三位一体(四位基台)を完成できるのです


真理は普遍的なものでない限り発展することは出来ません
神の愛は宗教組織から来るのではなく
また誰か一人の権威ある者の所有でもないのです


終わりの時には御霊が全ての人に直接注がれるというのが
イエスのメッセージでした


文師が最後まで心にかけた南北統一は
広く公の為に生きる良心での統一なのです

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