一体どうなっているのでしょうか?

メールをいただきましたので紹介いたします


統一教会の混乱の始まりはいつ頃から始まったのでしょうか?
私は1998年にお父様が顕進様に世界副会長の責任を与えられ
ご自身はこれから第一線を退いて韓国に帰る
と宣言された時だったような気がします

2001年1月13日に神様王権即位式を挙行され
堕落によって失われた人間と万物を本然の位置に回復させ
創造本然の新しい秩序が立てられ善の主権がそこから出発したと記憶しています

祈祷の内容も「真の父母の名を通して」ではなく
自分の名前を通して直接祈祷できる時代を宣布されました
その時語られたみ言葉の中に

「死のうと生きようと天のお父様の為に生きなければなりません
全て蕩減過程を経てきて真の父母の為に生きると言う言葉もありません。
真の父母も必要ないというのです」
「真の父母の苦労を崇拝するよりも真の父母が苦労して成し遂げたものまでも
全て踏んで上がり、真の父母がいなく神様だけが真の父母の位置として
その位置を追求しなくてはなりません。
今からは先生を探す必要はありません。今からは天のお父様に先生よりも
何百倍以上の根源的な位置で侍らなければなりません」

私はこのみ言葉を聞きながら新しい時代の到来に
心の底から希望を感じたことを憶えています
それから暫くして顕進様が来日され二世たちを中心に修練会が始まり
STFの教育システムが出来上がっていきました。
全国を巡回されながら今までのアベル中心主義が一掃され
まさに新しい二世の時代的な機運を感じていました

ところがその機運も冷めないうちに今度は享進様が世界会長に就任したのです
その時は何か理由があったのだろうと思っていましたが
真の家庭の内部で後継者問題に絡んだ権力闘争があったことを後年知るようになりました

お父様ご自身が一線を退くと言われ顕進様を後継者にされると言われたのに
又再び振り出しに戻って今度は七男さんを後継者に指名したので
混乱が始まったように思えます。
一般のシックには何がどうなっているのかその事実を検証する術はありませんでした
そして現在もそれぞれが自分たちの立場の正統性を都合の良いみ言葉をかざして
主張しているというのが現状ではないのでしょうか

そういう経緯の中で一世が失敗したからだという声を聴きますが
その原因が後継者問題に絡んだ真の家庭から始まったのではないのですか?
シックは真の父母や家庭を論じることはタブー視されていますから
誰も何も言えません
真の家庭から追い出されたのか、自分から出ていったのかを問うより
肝心のお母様が何故ご自身の家庭を一つにされようとしなかったのか
未だに不可解です

分裂の原因は原理が良く分かっていないからだと言う声を聞きますが
日本の一般シックの事情を分かっていないのではないのでしょうか?

私たちはアベルから復帰するお金の目標額だけを決められて
朝から晩まで黙々と万物復帰をしました
それが韓国や世界を救い摂理の勝利の為だと信じていたからです
正月まじかの冬の寒い日、田舎を回ると一家団欒で新しい年を迎えようとする
暖かい家の明かりを見ながら何でこんなことをしているのだろうと
涙を流したことなど知る由もないことでしょう

原理と言えばアベルカインの蕩減原理
報連相 報告、連絡、相談
全てアベルの主管の下、その指示に従うことしか教育されて来ませんでした
身を削るように酷使されたあの頃の毎日が
どれ程大変だったか知っておられますかと叫びたい気持ちです

真の家庭が三つに分かれてそれぞれが祝福の権能を主張し
祝福の価値が分からなければ審判される?
一体どうなっているのでしょうか?

イエス様は自分を十字架につけようとする人たちに向かって
とりなしの祈りをされました
その愛の深さがキリスト教を世界的にしたのではありませんか
世界一家族理想は信徒に命じるものではなく自らが実践して示していくものです

以上です 

この文章を書かれた方はご自分の二世のお子様を育てながら
教会が分裂してしまった現在それぞれが独自の祝福を主張していることが
とても気になっているようでした


理想家庭とは現実的な自分たちの家庭のことです
祝福を受けて家庭を出発したのは其れが救済の本質であるが故
父母様を信じて受け入れたことは誰もが同じなのですが
自分たちの子供の祝福時期を迎えるにあたって
その中心的教義が揺れているのではどこに身を置けばよいのか
まさに途方に暮れてしまいます

家庭連合の祝福
サンクチュアリーの祝福
そして顕進様も祝福を行うとのことです
しかもそれぞれが自分たちの祝福こそが正統だと主張しているのです

こうなると一般の信徒は何が真理で何が正統なのか混乱するばかりで
最後は祝福の価値もこんなものだったのかということになってしまいます

もとより原罪があるなしの生物学的根拠など証明不可だし
人の心の中は誰も見ることが出来ません
罪からの解放の証明は自分以外に誰にもわからないのですから

人格はどうであれ祝福を受け先祖解怨をすれば天国へ行ける
という救済システムが構築されているようなので
とにかくまず聖酒を飲んで祝福を受けること
そして出来る限り清平の解怨を受けましょう
これが現在行われている実態です

何やらお経を唱えれば御仏に救われて浄土に行けるという
仏教の考えに似て来たようです

どだい自己完成の基準が真の愛と言っても
真の愛を信じている者たちがお互いを牽制しているわけですから
どうすることもできません
最後は十字架を通して神の愛を証明したイエス様のように
それぞれが自分の人生においてどれほど実践的に
世の為人の為に生きているかが問われることになるのでしょう

人間を神のような完全無欠な存在に祭り上げると
そのギャップに苦しむのです
愛は日々の何気ない生活の中に感じる
ありのままの眼差しの中にあります

自分の名前を通して祈る時代が来たということは
氏族メシアの理念に沿って活動すれば各自に
祝福が与えられるということではないのでしょうか
神は自分の心の中にそして家庭の中に臨在しているのです
もう外に探す必要はないのです

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