閑話休題

私は音楽が好きなのでよくコンサートに出かけたり
下手ながらも自分で楽器を手にして楽しんでいます
昔から目に見えない音の神妙な旋律や和音が
人間の情感に共鳴感覚を惹き起すことが不思議でした


音は目に見えない波動であり周波数を合わせると
遠くに離れていても声が聞け、映像を見ることが出来ます
携帯やパソコンは量子力学のもたらした
革命的な波動原理を応用して作られています


あらゆる物体には固有の振動数があります
個々の物体間に共鳴する振動数を音楽ではハーモニーと呼びます


このハーモニーを生み出す波動の中に情感が秘められ
その響きを重ねた和音から例えばドミソは明るいメジャーな情感が
ミラドからは寂しいマイナーな情感が得られます


音の組み合わせを楽譜通りに練習すると
誰でも同じような音の流れやハーモニーを引き出すことができ
コンサートや音楽会でいろんな人の演奏を聴くにつけ
それぞれの技量にはレベルがあってもバッハの演奏を聴けば
音の中に時代を超えた情感が流れていて誰もがその場で共有することが可能となります


では響き合い共鳴し合う音の背後には一体何があるのでしょうか?


ピタゴラスは長さが一定の弦を吊るして弾いてみると
一本の弦を弾いた音と、その弦の長さを半分にした音が
一オクターブ、振動数では一対二の比率になることに気が付きました
即ち物体間には数値化された共鳴原理があることを発見したのです


この音と音の間に響きあう周波数を調和させると喜びや安らぎが感じられ
反対に周波数が合わなければ不快な気分になるのです


東洋ではこの波長のことを「気」と呼び
気が合わない、気性が激しい、気持ちが良い、元気だ、病気になった……
気に関するコトバは他にも沢山見出すことが出来ます
私は霊界とは情感(愛)の波長が空気のように
偏在している世界だと思っています


人間の堕落を音楽的に表現すれば人間と神は
波長が合わなくなって共鳴できなくなったということです


ここからは私の独自の勝手な推察ですが
キリスト教の洗礼も聖酒式も水に関連しています
水を物理学的な表現で例えれば波、波動です
聖水を浴び、聖酒を飲むと言うことは聖化された神の波動を
実体の中に象徴的に継承するということなのかも知れません


神は心情の中心なのでまさに情感の主です
単音(個人)がハーモニーをつくるためには
他の単音と周波数が共鳴しなければ心地よい喜びの情感を造ることが出来ません


この原理でいえば創造目的の完成である結婚は
陰陽の二性が同一の波動の中で融合すると神の心情圏に共鳴して
その波動が男女の中に流れると言うことになります
相対基準の波長である初愛の情を合わせるだけで
神が男女の中に臨在するという原理です


音楽を聴くとは音を聴くだけではなく波動を感じることです
ハーモニーとはあらゆるものの調和を意味します
本来の意味はハルモニア「結合」のことなのです


音と音のつながりの比率が数学的に決められていること
和音から響く情感性
人体を通して宇宙の響きを感知できる人間はまさに
マクロコスモスとしての宇宙とミクロコスモスとしての人体が
一つに繋がっていることを証明しています


祝福とは神の心情圏に二人で共鳴することなのです
共鳴した響きの中に真の愛があらわれるのでしょう

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