原理は実践を以て可となるべし

初期の世界日報の編集局長だったS氏(破門と言う形で追放)は
世界日報を単なる一宗教のプロパガンダ新聞ではなく
一般人が読むに耐え得る普遍的な良心基準に基づいて
編集するべきだと主張していました


S氏の現実感覚は当時教会の中でも際立っていました
それが新聞社を乗っ取るとか様々な噂が跋扈し
最後は教会を破門されてしまいました


S氏が文芸春秋に投稿した文章は教会の隠された暗闇を暴いたとされ
社会的にも大きな波紋を呼びました
問題は其れで終わらず最終的には卑劣な殺傷事件に巻き込まれ
一命を落としかねないような事態になったのです


私がS氏から学んだことは宗教の独善的なドグマを超えた
より普遍的な真理に対する柔軟な思考でした


例えば霊界に関する学術的な見方のひとつに
ユングの無意識に関する心理学を研究すれば
神話に対してより客観的なことを学ぶことが出来ると
教えてくれました


またキリスト教がどのようにして国家形成を行ったのかは
トクヴィルの「アメリカの民主政治」が参考になると言われたので
必死になって読みふけったことを憶えています


ユングもトクヴィルも原理を中心に読み込んでいくと
今まで気が付かなかった既存のアカデミックな観点の中にも
具体的な理想社会の事例が沢山あることに驚かされました


当時は勝共運動においても魅力のある先輩たちがいて
地上天国は単なる観念上の話ではなく現実でした
具体的に教会から何人も有力議員の秘書に登用され
国家の中枢に影響を与えるまでになっていたのです
その意味では当時の国家復帰は
今とは比較できない程リアルなものだったのです


ところが経済復帰が摂理の中心になってから
状況は一変しました
それまで築き上げた国会議員や知識人とのつながりも
徐々に希薄になり理想国家を現実化させる機会を
失っていったのです
当時、前線で活動した者にとってはまさに忸怩たる思いでした


その後、日本の国籍を持たない韓国の指導者が日本の中心に就任することになり
それまで築いてきた国家主権に影響を与える基盤は完全に先細ってしまいました


韓鶴子総裁が国家復帰の目標を2020年までと述べるスピーチを
何度も聞きましたが具体的な天一国がどのような形になるのか未だ
何の提示もありません


信徒は当然地上天国を夢見ているのでしょうが
国家主権と言うものが簡単に掌握できるものでないことは
歴史が証明しています


政治学の知識も
行政のシステムも経験したことがない人間たちが
天一国憲法を旗印に国家メシアと言う名前だけ与えられても
何もできないことは明白です


形のない幻想の中で天一国憲法だけを発表し
真の父母が全権を有するとされるこの憲法が
どこの国で実際に運用されるというのでしょうか?


しかも復帰の中心国家は韓国であり日本そしてアメリカだというのです
あと二年と言うことは日本においては安倍首相が国民を前にして
天一国憲法を容認するとでもいうのでしょうか?


憲法改正の国民投票を行うことさえ難しい国で
何をどう復帰しろと言うのでしょう?


其れよりもこれは提案ですが
清平に自らの理想王国の元型を造られたら如何でしょうか?
そこに韓日7000名の家庭を中心とした
理想共同体が実現したら実体的救いの意味が
もっと明確になるかもしれません


真の父母の博物館を見せるより
人類が到達できなった理想共同体を
「原理を中心に真の父母に侍ればこのような美しい共同体になるのです」
と実際に見せればこの運動は本物だったと誰もが納得することでしょう


その核ができてこそ
発展途上国の食糧や医療の問題
富の集中による格差の問題
終わることのない資源や環境破壊
核兵器やテロによる脅威
宗教間の民族問題
有り余る課題に対しても希望がここにあるのだと
誇れるのではないのでしょうか?


祝福を受け、真の父母を受け入れれば
理想社会が来るのではなく
理想社会は建設するものです
それが統一運動の本質である肉的救いにも繋がるのです


現実から遊離し自分たちだけの宗教的幻想の中に
埋没していては何も起こりません


霊界を動かし何千億と言う絶対善霊が立ち上がれば
奇跡が起こると言う呪術信仰はほどほどにして
具体的な天一国の見本を造ればよいのです


困窮の中で生活している信徒たちには必要な生活費を分配し
共生共栄の福祉政策の恩恵をまず「隗より始めよ」ではないのでしょうか


トクヴィルは国家の形成には
「高い道徳心と倫理観を持ち現実感覚に根差した知識人の存在が不可欠」
と考えました


今こそ祝福家庭はその代表として学んだ倫理観を中心に
原理の具現化を果たすべき時が来たのです


例えそれが自分たちだけの小さな共同体であったとしても
万民が感動する姿を提示できればそこから天国が始まります


半世紀以上たっても一向に神の国の元型さえ出来ないのは
信仰が現実感覚に合致していないからです
キリスト教が経済や政治に対してどのような社会的プロセスを通過し
国家を形成していったのかを学びつつ
それを実践する場所が清平だとしたら
夢が現実となるではありませんか


「人はパンによっても生きているのです」
地の糧は具体的なものであり
理想家庭も理想社会も現実に造り上げていくものです

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