本物の指導者

釈迦の教えは仏教
イエスの教えはキリスト教
マホメットの教えは回教
文師の教えは天聖教


一人の人間の偉大な悟りや啓示はその教えが普遍化しました
それは真理が特定の人間の所有物ではないからです


また創始者の語った言葉は例外なくその解釈によって
いくつもの組織や派閥に分かれていきました


しかし釈迦の慈悲やイエスの愛と許しの教えは
普遍的思想として今も万民の心の中心に根付いています
それは愛には派閥も組織も関係ないからです


愛は組織を維持することでも組織を拡大することでもなく
目の前の人や自然に対してひたすら愛を実践することです


他の為に犠牲となって奉仕している人に対して
誰も愛を説く人はいません
祝福を受けていないから
真の愛ではないと言えるでしょうか
他の為に愛することに罪が介在するわけではないのです
愛の前には皆頭を下げその人を尊敬するだけです


文師が宗教組織の終焉を語ったのは
組織の持つ排他性を指摘したのでしょう


一言でいえば
自分たち以外の運動には神が働かないということです
神はある特定の宗教組織に対してしか本当に働かないのでしょうか?


超宗教の本当の意味は聖書の実践であり天聖教の実践なのに
宗教は長い間言葉の解釈論争に明け暮れ
自分たちの考えの拡大に力を注いできました


しかし大切なことは実践なのです


組織の最大の問題点は組織維持のために莫大な経費を必要とします
国家が官僚や公務員の維持のために税金を課せるのも似たようなことです
その税金が正しく使用されればこの世に不正は起きないのでしょうが
組織管理を任された人たちは往々にして物質に主管されてしまうのです


組織はまた権力でもあります
そして権力の魅力はいつの時代も人間のエゴを強烈に刺激するのです


従って組織運営の黄金律は上に立つものは謙遜かつ
何よりも謙虚でなければなりません
つまり通常の一般生活者の平均を過度に超えてはいけないということです


公務員のことを英語ではパブリックサーバントと呼びますが
公的な奉仕者と言う意味です
政治家や指導者のあるべき姿は公的奉仕者なのです


それが政治家でいえば二世、三世となると親の威光の下
あたかも自分が偉くなったかのように勘違いをして
それが特権意識をつくるのです


またその世襲制を褒め称え
それに群がる人たちもそこから自分たちの
恩恵を受けようとするのです


選民意識が悪いというのではなく本来の選民意識は
他の為に犠牲になって奉仕する大変な人たちのことです
だから選ばれた人しかできないのでしょう
富と権力に毒された指導者はこの世には掃いて捨てるほどいます


それは殆どが下座に生きることが出来ていないからです
指導者になった途端に高級車を乗り回し贅沢を始める人は
大きな勘違いをしているのです


神は特定の人間の為に王宮を建設するのでしょうか?
王宮の本宮は神自らが臨在できる人間です


世の人たちに対して謙遜で奉仕し万民が
その恩恵に浴することが出来る本物の心を持った
指導者になることは大変なことなのです

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