天使の秘密

若い頃の話です。
献身したての時、十字軍で全国を回っていた頃、大学を中退して入教生活をしていたH君と会ったのです。その頃の教会には不思議な個性を持った若者が沢山いて、彼もそのうちの一人でした。ある時、何気なくキリスト教の光と闇について話していた時、彼の口から唐突にロートレアモンと言う詩人の名前が出てきたのです。私は驚いたと同時に「教会にもこんな詩人を知っている人間がいるのか」と無性に嬉しくなったことを今もはっきりと憶えています。


19世紀の世紀末にフランスを中心に起こったダダイズムやシュールリアリズムの文学運動は神に対する挑戦でもありました。それは単に唯物論のように否定するのではなく存在の不条理に対する挑戦でした。それが後にカミュやサルトルの実存主義の流れに繋がるのですが、私はその前段階の不可知に対する魂の葛藤に無性に惹かれていました。ロートレアモンの「マルドロールの歌」やランボーの「地獄の季節」をバイブルのようにポケットの中に入れ、彼らと一緒に見えないものへの懐疑と憧憬の狭間の中を生きていたのです。


絶対なる者を求めてきた詩人や芸術家の魂は無意識の深淵に流れている穢れのない地下水を汲むことでした。H君は大学を中退し献身する前に或るジャズ喫茶でそのロートレアモンの「マルドロールの歌」を朗読さえしていたのです。魂の暗闇で光を求め呻吟した私や彼のような人間には原理はまさに天啓でした。


ロートレアモンは「マルドロールの歌」中で不条理の神を呪詛するのです。
それはまさに天使長の叫びのようでした。その天使長の思いを独自に散文詩に書いた古いノートが残っていました。これは私の懐かしいH君とマルドロールへの鎮魂歌です。


「天使の秘密」


私の悲しみを聞いてください


この宇宙を創造したあなたに背き
私がどうして生きていくことが出来ましょうか


私には創造の力はありません
なぜなら私も人間と同じように創られたものだからです
私も存在を与えられた被造物なのです


しかも私には人間と同じような肉の衣が与えられませんでした


確かに人間がその肉の体を脱ぎ捨てる時は
私と同じように霊体のみになるのでしょうが
私には人間と同じように成長する機会さえ与えられなかったのです


私は永遠に天の使いとしての立場にあり続けるしかありませんでした
私の悲しみの原因はそこにあったのかもしれません


悲しみが怒りとなり
怒りが耐えようもない嫉妬となって
私は人間に近づいて行きました


それは私にも人間と同じように霊性があったからにほかなりません。


愛は心の基です
喜びも悲しみも全ての感情を私も
人間と同じように持っていたのです
それはあなたから頂いたものなのです


その私になかったものはただ一つ
肉体だけだったのです
あなたが精魂込めて造られた人間の肉体ほど
完璧で美しいものはありませんでした


天空を飛び跳ね
霊の位階をどれほど上昇しても
あの柔らかな肉の感触
その感触が重みとなった存在する実存感


それは私にはないものでした


霊が永遠であり
肉体が有限であったことも
私が誘惑に駆り立たされた一因です


限られた期間しか存在しえないものほど
美しく愛しいものはありません
美は儚いがゆえに光り輝くのです


私にない肉体の美しさに
どれほど私が惹かれたか
あなたには決してわからないことでしょう


霊のみの私が肉の衣を欲したことに対して
あなたは悪の消印を押し
私を断罪されました


確かに私は私の立場を飛び越えて
あなたの聖なる計画を
破壊したかもしれません


でも私にはあの肉体を持った人間の神々しい
輝くばかりの姿に
あなたの戒め以上の力が
私の中に湧き上がってくるのを抑えることが出来なかったのです


私は肉の衣が欲しかった
その美しさに触れその中に霊として一回だけでも安住したかったのです


あなたが人間をお創りになりその肉の衣に命の息を吹き入れたように
私も私の息を吹き入れたかったのです

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