永遠の創造者 民族の壁

人種と言った場合それは生物学的な特徴による分類なのでしょうが
家族、氏族そして民族と言った場合は根底に共通の生活様式や
帰属する民族のアイデンティティーがあり
何よりも共通の言語と民族を成り立たせる歴史意識があります


異なった文化や言語を話す人種を同じ民族として感じられないのは
こうした共通性を感じられないからなのでしょう


統一運動は血統の根拠を文師夫妻においてそこからの新たな民族意識を
形成しようとする運動であることは間違いありません


理論的には先祖をアダムとエバとすればアダム家庭の
言語と文化を継承するのは当然のことと思われるのでしょうが
この考え方に欠如していることは歴史は既に新たな段階に
進化しているということです


物質から人間に至るまでの宇宙創造の過程は下等なものから
高等な生命体に至るまで目的をもって進化してきたことは
明白な事実です


原理的観点から人間が堕落しなかったら人間の発達はアダム家庭から
即座に理想世界に向けて発展していくはずったということを
その昔
原理講師から聞いたことを憶えていますが
本当にそうなのでしょうか?


堕落によって人間は無知に陥ったというのがその根拠なのですが
私は宇宙が長い年月をかけて進化したように人間の知性も
最初から全てを知っていたのではなく進化するように
創造されたように思えてならないのです


堕落によって無知に陥ったのではなく
人間は進化の途上を辿ることによって
堕落のあるなしに関わらず知的に向上することが
もともとの在り方だったのではなかったのかと思うのです


それは知識というものは堕落によって欠落したのではなく
あくまでも蓄積された人間の経験から来るものだからです


今日のような科学技術の発展した社会が原初から
予定されていたとは到底想像できません
道具のないエデンの園においてロケットや精密機械を
どのように開発できるというのでしょうか


物質の錬金術は時代の知的な積み重ねによって花開くのです
原始共産制は物々交換の世界です
長い年月を要して人間の知識や精神性が発展したと見ることは
堕落とは無関係に創造のあるべきプロセスではなかったのでしょうか


原理はアダム家庭の精神性の復帰を目標にしていますから
全ての知的進化も堕落がなければこうなるはずだったという
理論構成になっていますが
神本来の創造は宇宙の成り立ちを見ても分かる通り
下等なものからより高等なものへの進化発展の過程を通さずには
実現しなかったはずです


何を言いたいかと言えば
原理は言語の統一や文化の統一
はたまた生活様式の在り方や伝統の継承を強調しています
私たちはそれぞれが継承してきた文化や伝統を否定して
全てを韓国的な統一様式に還元すべきなのでしょうか?
ということです


寒い東北と温かい南では日本語の発音も変わってくるように
英語も米語やシンガポール英語、インド訛りの英語、フィリッピン英語と
時代と共にその地域の環境や特性によって発音も表現も変わってきます


言語統一をすれば確かに意思疎通はよくなるかもしれませんが
それによって人類が築いてきた言語による文化は消滅してしまいます


言語は文化のエキスです
芭蕉の俳句を如何に韓国語や英語に訳してもその微妙な響きは
日本語でしか伝わらないのと同じ様に
シェークスピアの流れる文体の美しさが分かるのは英語なのです


文師は何故自分の子供たちを韓国で育てることをせずに
英語圏で育てたのでしょう
それは文化の多様性が始まっていることを感知したのかも知れません


日本語の文化で育った日本人が言語を捨てると言うことは
日本文化を捨てるということになります


民族意識を真の父母を中心に形成しようとする意図は分かるのですが
民族意識は往々にして他を排斥するのです
それは同じ言語を話す民族共通の同族意識が言語を通して
流れるからでしょう


我々が持つべき態度は統一と言う名前の下に全てを韓国化するのではなく
進化の途上で精神の向上に貢献した様々な文化を受け入れる
より大きな意味での統一を目指すべきなのではないのでしょうか


硬直した原理主義者はこうした精神の柔軟性を持つことを
極度に恐れますがそれは神の現れが父母からの祝福を受けた
自分たちにのみしかないという狭小性からきているのかも知れません


人間の精神は進化の途上を今も辿っています
原理も同様に新たに付け加えられ
発見されるべきことがまだまだあるはずです


文師が述べた事だけをコピーのように繰り返すだけではなく
文師の精神性にアライアンスをして新たな創造原理を
提唱することも可能なのではないのでしょうか


我々が持つべき唯一の意識は
人間は神に所属するということなのです
それを証明する為にも
神が無限なる創造主であるように
一人ひとりに内在する創造性は
新たな真理を常に発見できるということです


自然が日々変化し
新たな環境圏を生み出すように
人間も新たなるものを生み出す可能性を持った
永遠の創造者なのです

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