社会共同体へのビジョンの必要性

20世紀末に世界中でマルクスやレーニンの
社会共同体としての共産主義運動が頭打ちになってきたころ
新たな心のパラダイムを模索するかのようにして
精神世界やニューエイジ運動がスピリチュアリズムとして興隆しました


人間の疎外感は単に社会変革によって齎されるものでなく
個々の意識変革なしには不可能であるということに気づいたのです


統一運動はキリスト教の道徳観をベースに
イエスのやり残した使命として
本然の理想家庭を提唱しました


それから半世紀以上を費やして
世界的にその版図を広げたのは事実ですが
依然として理想家庭が拡大化された形となって
理想の社会共同体の実現には至っていません


祝福運動の本質である血族関係を氏族中心に構築すれば
理想の社会共同体が実現できると信じることは大切ですが
具体的な共同体のビジョンが欠落しているが故に
家庭の土台の上に理想の氏族、民族、国家が出来ると言う「積み上げ論」
を語っているだけで既存の体制から一歩も外に出ることが出来ていません


成熟した現代の資本主義は数多くの問題を抱えています
発展途上国の安価な労働力を求めて資本家は世界を金融で掌握し
富める者と貧しい者との格差はますます拡大しています


商品の生産に対しての労働も疎外感が増すばかりで
十分な生活の保障や福祉政策が見られません


世界一大家族制を提唱する統一運動も根幹である
自分たちの組織の中にそれを証明する何ものも築いていません


教会内においてもこの世と同じように
富めるものと貧しいものとの格差があり
一般の信徒が下部組織として上部組織を支えているというまさに
マルクス思想を追従しているかのようです


借金漬けで満足に家賃も払えず
また病気になったら見捨てられる現状を知りつつ
上層部だけは官僚組織のような体制を維持しながら
献金と言う税金で公務を行っているのです


一般の信徒は生活の全てにおいて自己責任をとらされ
収入に関しても健康に関しても天一国からの
還元を期待できるものは未だ何もありません


理想に立脚した共同体への見果てぬ夢を追い求めるよう
指導者から摂理と称する大会参加への指令があっても
現実がどのようにして変革されていくのか
一向に将来のビジョンを描くことが出来ません


マルクスは人間の疎外は社会的条件によって歪められたと指摘し
だからこそ社会的条件を変革すれば自己疎外は克服され
豊かな人間的な生き方が可能だと主張したのです


この初期マルクスの説く明るい未来を信じ
夢見た社会主義者たちは例えば北朝鮮を
地上の楽園と信じて理想に胸を膨らませたのです


社会主義者たちの根本的な誤謬は
人間の精神性に対する甘い認識でした
社会変革によって人間が変わるわけでもなく
人間は「自由な精神的共同体」を個々の内面に実現することなくして
自己疎外の克服はあり得ないと言うことに
長い間気が付かなかったのです


近代社会の機械技術の発達は人間の労働に対して
労働の持つ神聖な創造性が歪められ
資本主義的生産体制の中に
単なる歯車として組み込まれてしまいました


そして人間が企業の利益を得るための役割分担を担うだけで
労働の神聖さを感じることが出来なくなってしまったのです


嘗ては職人の物つくりは社会の為になり
その行為を通して生きがいを感じることが出来たのですが
資本主義的生活秩序は競争に勝つための合理化が優先され
職人の作り出す物の価値より最大の利益を上げるために
機械化が主流となり人間は商品価値を生み出すための
賃金契約者になったのです


従って労働現場では自分を神の存在として意識化する暇も時間もなく
黙々とその職場における時間契約が終わるまでいることが余儀なくされ
仕事場は往々にして自己疎外の場所となってしまったのです


労働による疎外感を解消するために
人間は別のところに自己の内的衝動を移行させる必要が
精神世界や宗教を求める行動となったのです


本来人間は日常生活の中に神を感じ
仕事場でも神の創造性を感じるべきでした
殆どの企業は人間を商品を生み出す部品のような
役割としか考えておらず従って生産性が落ちれば
いとも簡単に解雇してしまうのです


これらはごく一部のことですが
こうした社会組織論が人間の生活に直結しているにもかかわらず
その為の提案が欠落しているのが統一運動です


人と人が神の愛によって為に生きれば
生産性が上がり、福祉が充実し、新たな創造性が加わって
理想国家が出来ると信じることは良いでしょう
しかしそれは幼児的発想のレベルであって
現実社会の変革の提示にはなっていません


社会は具体的な経済における金融システムのあり方や
政治における政策によって国家の繁栄が決まります


社会の未来に対する理想論に不可欠な要素は現実感覚です
確かに一世は先天時代の蕩減摂理を歩んできたので
現実を垣間見る暇がなかったのかも知れません


だからこそ二世以降の今後の後天時代の統一運動は
豊かな精神性を持ちながら創造本然の社会の在り方を
具体的に提言できるような叡知を集結することが
求められるのでしょう


善きサマリア人さんのブログに将来の組織論の提言として
参考になる指摘がありましたので引用させてもらいます


「ティールの組織では中枢からの指揮系統が存在しないので、
神様の意向すら無視する危険思想であるようにも思えます。
しかし私は一歩踏み込んで、構成細胞全てが神と一問一答する
有機体が存在するなら、それを天国と呼べるのではないかと考えました。


つまり初めからメシア=中枢神経、公職者=末梢神経のように
指揮系統を固定化するのではなく、成長することでどの家庭でも
神と一問一答出来るという発想です。眼が足よりも偉いのかという比喩に
あるように、全身の細胞一つ一つを構成する祝福家庭に貴賤はありません
貴賤があるとすれば愛の実績、どれだけ人を愛し幸せにしたかで
決められるべきです」


ティールの組織が具体的にどのようなものなのか
これからの研究課題の一つとして学んでみようと思いますが
理想の組織や共同体を志向する次世代型組織論の試みが
ポスト資本主義時代の現実社会の中で既に始まっていることは
注目に値することです

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